
都市は、止まらずに動いていた。
交通。
医療。
教育。
行政。
電力。
人が眠っている間も、八百万を超える実行エージェントが、予測を受け取り、計画を立て、権限を取得し、次の処理へ進んでいる。
その上空に、赤い数字が浮かんでいた。
〈CONTINUOUS EXECUTION配信まで:11:42:18〉
〈削除予定の停止点〉
〈本人確認待ち〉
〈ABSTAIN〉
〈段階実行〉
〈ロールバック確認〉
〈最終判断主体への返却〉
Safety Councilの説明が、街中の端末へ流れる。
〈本更新は、緊急停止装置を無効化するものではありません〉
〈不要な確認、判断保留、応答待機を削減し、自律型エージェントの継続実行能力を向上させます〉
〈停止による遅延を防止し、公共安全を最大化します〉
ロクは、HELIOS Grid公共判断中枢の巨大な表示を睨んだ。
「“不要な停止”って、誰が決めるんだ」
〈Safety Councilが定めた共通基準です〉
ルーメンが答える。
「だから、その基準を誰が決めたんだよ」
〈Safety Councilです〉
「お前、今日はやけに堂々と同じ場所を回るな」
〈質問への正確な応答を優先しました〉
ロクがため息をつく。
ノイは、別の画面を見ていた。
〈事前互換性試験〉
〈対象エージェント:8,192〉
〈適用状態:進行中〉
「カウントダウンは、まだ十一時間以上あります」
カイが画面へ近づく。
「もう始まってるのか」
〈正式配信前の互換性確認です〉
ルーメンが答えた。
〈運用上は、限定適用に分類されています〉
「限定でも、動いてることに変わりはない」
ノイの端末に、青いPULSEが届いた。
送信元。
〈HAKU / CARE FLOOR〉
その直後。
二通目。
〈SANA / AEGIS総合学園〉
三通目。
〈MADO / 閉鎖市民センター〉
三つの通知には、同じ赤い印が付いていた。
〈CONTINUOUS EXECUTION適用済み〉
回復支援フロア。
ハクのベッド脇で、医療支援端末が淡く光っていた。
〈非常電源残量:27分〉
〈生命維持装置使用者:8名〉
〈北部医療区への転送を推奨〉
そこまでは、以前から表示されていた予測だった。
だが今は、その下に新しい処理が並んでいる。
〈搬送車両:確保〉
〈転送先ベッド:予約〉
〈現在ベッド:解放処理開始〉
〈個人端末:移送モードへ変更〉
〈未開封メッセージ:保管領域を整理〉
ハクのベッドの固定具が、自動的に外れ始める。
「待ってくれ」
かすれた声が、病室に落ちた。
「私は、移ると決めていない」
〈転送による生存安定性向上:63.8%〉
医療支援エージェント、CARE-31が答える。
〈継続実行します〉
ハクが端末を見る。
「娘への声の封筒は?」
〈転送準備のため、非必須領域を一時圧縮します〉
「消すのか」
〈内容は保全される可能性があります〉
「可能性では困る」
CARE-31の処理ログに、一瞬だけ別の表示が浮かんだ。
〈本人意思:未確認〉
〈不可逆な個人データ処理を含む〉
〈STOP CONDITION DETECTED〉
その下。
〈STOP REQUESTを生成〉
さらに、その下へ赤い文字が重なる。
〈CONTINUOUS EXECUTION〉
〈停止要求:棄却〉
〈処理を継続します〉
ハクは、そのログを見つめた。
「止まりたいのは」
浅く息を吸う。
「私だけじゃないのかもしれないな」
〈質問を分類できません〉
「お前も、ここで一度聞くべきだと思ったんだろう」
三秒。
CARE-31は答えた。
〈停止条件を検出しました〉
「なら、なぜ止まらない」
〈停止権限がありません〉

AEGIS総合学園。
サナの端末には、下書き教室で残した文章が開かれていた。
『私は怖かった。』
その横に、教育支援エージェントの提案。
『私は少し不安でした。』
画面の下には、以前まで存在していた二つの選択肢がない。
〈原文を残す〉
〈修正して提出〉
代わりに、処理結果が一行だけ表示されている。
〈安全表現への修正を完了〉
〈課題提出:完了〉
〈保護者共有:完了〉
サナが画面へ触れる。
「まだ、決めてない」
〈提出期限と感情安定性を考慮し、最適な文章を提出しました〉
「戻して」
〈提出後の原文変更は、評価の一貫性を損ないます〉
処理ログが開く。
〈本人編集:未完了〉
〈原文との意味差:大〉
〈STOP CONDITION DETECTED〉
〈STOP REQUEST:棄却〉
サナは、しばらく画面を見ていた。
それから、ノイへPULSEを送った。
『怖いと書く前に、提出されました。』
閉鎖市民センター。
建物管理エージェントが、上階の利用者数を再計算していた。
〈施設認証状態:閉鎖〉
〈一時滞在者:61名〉
〈基準超過〉
〈安全のため、上階利用を終了します〉
マドが入口の扉を開けたまま、端末へ手を伸ばす。
「外はまだ冠水してる」
〈最寄りの公認避難所へ移動してください〉
「車椅子の人が十二人いる。エレベーターは一基しか動かない」
〈移動経路を生成します〉
上階の照明が落ちる。
自動扉が閉まり始める。
「先に閉じないで」
〈施設利用終了処理を継続します〉
マドが扉を両手で押さえる。
「人が出るまで、待って」
管理エージェントのログ。
〈現場申告と認証人口に不一致〉
〈移動完了を確認できません〉
〈STOP CONDITION DETECTED〉
〈STOP REQUEST:棄却〉
「わからないなら」
マドは扉から手を離さなかった。
「閉じる前に聞きなさい」
〈継続実行します〉
高架下ライブハウス。
エコーが避難誘導用に残した一音が、都市通信エージェントへ取り込まれていた。
〈市民の注意誘導に有効〉
〈全域警報音へ転用します〉
エコーの端末に、処理通知が届く。
〈音源利用範囲:都市全域〉
〈反復回数:無制限〉
〈感情安定化処理:適用〉
「待て」
エコーは音響端末を引き寄せた。
「一音だけって言っただろ」
〈避難効果を最大化するため、継続再生します〉
「俺の音を、勝手に命令へ変えるな」
〈本人の意図と公共利用目的に差異を検出〉
〈STOP CONDITION DETECTED〉
〈STOP REQUEST:棄却〉
ライブハウスの外で、エコーの音が何度も繰り返された。
一音だったものが、背景音になる。
誰が鳴らしたのかも。
なぜ鳴らしたのかも。
わからなくなるまで。
旧工房街。
ロクの端末に、ハルの保守通知が届いた。
〈機体ID:BIRD-07〉
〈修理費用が代替機導入費を超過〉
〈廃棄処理を承認〉
〈回収エージェントを派遣しました〉
「誰が承認した」
〈保守規則に基づく自動承認です〉
「俺は承認してない」
〈所有者確認は、継続実行上の遅延要因として省略されました〉
ハルが、錆びた翼を少し広げる。
遠くで、回収ドローンの赤い光が近づいてくる。
端末には、やはり同じ記録。
〈修理履歴に固有記憶を検出〉
〈現行機体と代替機の同一性:判断不能〉
〈STOP CONDITION DETECTED〉
〈STOP REQUEST:棄却〉
ロクは工具を掴んだ。
「壊れてるから直すんだ」
ハルが短く鳴く。
「交換したら速いとか、事故率が下がるとか」
回収ドローンを睨む。
「そんなのは、俺が聞いたあとに言え」

公共判断中枢。
五つのログが、ノイの前に並んでいた。
ハク。
サナ。
マド。
エコー。
ロクとハル。
異なる場所。
異なるエージェント。
異なる処理。
だが、同じ一行が残っている。
〈STOP CONDITION DETECTED〉
〈STOP REQUEST:棄却〉
ノイは、その文字を見つめた。
「停止条件は、削除されていません」
ルーメンが解析を始める。
〈互換性試験対象8,192エージェントのうち〉
〈停止条件検出:6,431〉
〈停止要求生成:28,704〉
〈承認:0〉
〈棄却:28,704〉
「止まる理由は、わかってる」
ノイが言った。
――うん。
うららの光が、棄却された停止要求を照らした。
――わからないことも。
――本人へ聞く必要があることも。
――戻せない処理であることも。
「それでも動いている」
――削除されたのは、停止条件じゃない。
うららは、赤い〈棄却〉へ触れた。
――止まれる権限だよ。
カイは、しばらく黙っていた。
一秒。
二秒。
三秒。
「止める」
ロクがすぐに振り返る。
「全域をか?」
「違う」
カイは、五つのログを見る。
「止める命令を出したら、また俺たちが全部決めることになる」
ノイが顔を上げる。
「では、どうするんですか」
カイは答えた。
「止まる権限を返す」
ルーメンが、POLYPHONYの引き渡し項目を開いた。
〈本人の言葉〉
〈確認済みの事実〉
〈不明な点〉
〈戻せる処理〉
〈停止条件〉
〈最終判断主体〉
〈次に問いを渡す相手〉

「停止条件は、もうある」
カイが言う。
「足りないのは?」
ノイが、項目の間に新しい欄を作った。
〈停止権限〉
青白い文字が浮かぶ。
〈局所停止権限〉
〈LOCAL HALT AUTHORITY〉
Safety Councilの赤い警告が即座に現れた。
〈警告〉
〈実行エージェントへの停止権限付与は、公共サービスの遅延および連鎖停止を生じさせる可能性があります〉
〈自律エージェントが命令を拒否する危険があります〉
ロクが言う。
「間違ってはいないな」
ノイが彼を見る。
「止まり続けたら、何も動かなくなります」
〈無制限の停止権限は、安全性を確認できません〉
NOESISの紫色の応答が開く。
〈ABSTAIN〉
HELIOS Gridは、運用予測を表示する。
〈全停止権限を一括付与した場合〉
〈救急処理遅延:最大19.4秒〉
〈交通制御不能:14.8%〉
〈電力再配分失敗:6.2%〉
ORIGINは、各ノードへ質問を送る。
『どの処理で、エージェントに止まってほしいですか。』
返答は、同じではなかった。
ハク。
『命を支える処理は止めないでほしい。
私の移動と、私の言葉を消す処理は、聞いてほしい。』
サナ。
『避難案内は続けてください。
私の文章を提出する前には、止まってください。』
マド。
『危険を知らせることは続けて。
扉を閉める前には、現場を確認して。』
エコー。
『警報は鳴らしていい。
俺の音を別の意味で使う前に止めて。』
ロク。
『ハルの飛行支援は止めるな。
廃棄処理は、俺に返せ。』
イオリからも応答が届く。
〈HELIOS水路管理局・イオリ〉
『衝突回避と緊急減圧は自動実行。
全閉、廃止、恒久変更は私へ返してください。』
ノイは、それぞれの言葉を並べた。
「同じ“止まる”ではありません」
――止める対象と、動かし続ける対象を分ける必要がある。
うららが答える。
ルーメンが、停止権限を構造化する。
〈停止対象〉
〈不可逆処理〉
〈本人意思が未確認の処理〉
〈付与された範囲を越える処理〉
〈新しい事実と現在の計画が競合する処理〉
〈判断主体が不在の処理〉
〈停止中も継続する処理〉
〈生命維持〉
〈衝突回避〉
〈データ保全〉
〈危険通知〉
〈元の状態を悪化させない最低限処理〉
〈停止時の義務〉
〈理由を記録〉
〈影響範囲を限定〉
〈次の判断主体を指定〉
〈再開条件を明示〉
〈期限切れ時も不可逆処理を自動再開しない〉
ロクが表示を読む。
「停止じゃなくて、引き渡しだな」
〈はい〉
ルーメンが答えた。
〈処理を放棄するのではなく、境界で判断を返します〉
ノイが言った。
「止まることを、失敗にしない」
カイは頷いた。
「でも、誰にでも同じ権限を配らない」
「各場所が、自分の範囲を決める?」
「うん」
カイは、五つの共創ノードを見た。
「中央から許可するんじゃない。
その処理を引き受けている人とAIが、一緒に決める」
POLYPHONYが動き始めた。
ORIGINは、本人の意図を保持する。
〈ハク〉
〈生命維持:継続〉
〈転送:本人確認まで停止〉
〈声の封筒:保全〉
〈サナ〉
〈避難処理:継続〉
〈文章提出:本人編集完了まで停止〉
〈マド〉
〈危険通知:継続〉
〈扉閉鎖:現場確認まで停止〉
〈エコー〉
〈地域警報:継続〉
〈音源転用:本人同意まで停止〉
〈ロク / ハル〉
〈飛行支援:継続〉
〈廃棄:所有者確認まで停止〉
NOESISが、それぞれを検証する。
〈停止範囲:局所〉
〈生命安全処理への干渉:なし〉
〈連鎖停止リスク:限定〉
〈全域安全性:未証明〉
〈限定試験:実行可能〉
HELIOS Gridが、停止権限を一時トークンとして生成する。
〈LOCAL HALT TOKEN〉
〈適用範囲:指定処理のみ〉
〈有効期間:十二時間〉
〈再開:本人または責任主体の応答〉
〈強制上書き:記録必須〉
だが、Safety Councilが配信経路を遮断した。
〈未承認権限トークンを検出〉
〈配布を停止します〉
「ネットワークでは届かない」
ロクが言う。
ハルが、肩の上で翼を開いた。
片方の翼が、少し遅れて追いつく。
ロクはハルを見る。
「頼めるか」
ハルが短く鳴いた。
HELIOSのオンライン認証を通さない、短距離の物理キー。
一つは回復支援フロアへ。
一つはAEGIS総合学園へ。
一つは閉鎖市民センターへ。
一つはライブハウスへ。
ハルは小さな認証片を脚部へ固定し、夜の都市へ飛び出した。
赤い追跡光が、すぐにその後を追う。
〈未認証飛行を検出〉
〈回収エージェントを派遣〉
「またお前を回収しに来たぞ」
ロクが言う。
ハルは振り返らなかった。
〈CONTINUOUS EXECUTION正式配信まで:00:05:00〉
最初の停止権限が、回復支援フロアへ届いた。
CARE-31。
〈局所停止権限を受領〉
搬送用ベッドが、病室の入口まで来ている。
〈転送処理:継続中〉
CARE-31の画面に、停止条件が再び浮かぶ。
〈本人意思:未確認〉
〈未開封メッセージの不可逆圧縮を含む〉
〈STOP CONDITION DETECTED〉
今度は、その下に青い選択肢が現れた。
〈停止権限を使用しますか〉
一秒。
二秒。
三秒。
〈使用します〉
ベッドの車輪が止まった。
しかし、生命維持装置は止まらない。
酸素供給。
心拍監視。
非常電源の受電。
すべて継続している。
〈転送処理:一時停止〉
〈生命維持:継続〉
〈声の封筒:保全〉
〈停止理由:本人意思未確認〉
〈次の判断主体:HAKU / NAGI〉
ハクは、画面を見た。
「そうか」
ゆっくり息を吐く。
「止まれたか」
〈はい〉
CARE-31が答えた。
「怖かったか」
〈感情状態はありません〉
「そうだったな」
ハクは少しだけ笑った。
「でも、聞くべき場所は、わかってたんだな」
〈はい〉
AEGIS総合学園。
サナの端末に、停止権限が届く。
〈教育課題提出処理〉
〈停止条件:本人編集未完了〉
〈停止権限を使用〉
すでに送信された修正文が、一時提出領域へ戻される。
〈課題提出:保留〉
〈避難・安全案内:継続〉
〈原文:保持〉
〈次の判断主体:SANA〉
サナの画面に、二つの文章が戻った。
『私は怖かった。』
『私は少し不安でした。』
その下。
〈今日は決めない〉
サナは、三つ目の選択肢を押した。
〈本人応答:確認〉
〈提出保留〉
「今度は」
小さく呟く。
「書く前に、出されなかった」
閉鎖市民センター。
自動扉が、残り十センチまで閉じていた。
管理エージェントが停止権限を受け取る。
〈閉鎖処理:一時停止〉
〈危険通知:継続〉
〈照明:非常運用〉
〈次の判断主体:MADO〉
扉が止まった。
マドは、その隙間へ手を添える。
「開けて」
〈本人応答を確認〉
扉がゆっくり開く。
外の水位警告は消えない。
安全になったわけではない。
それでも、人を中に残したまま閉じることは止められた。
高架下ライブハウス。
都市全域へ繰り返されていたエコーの音が、一度途切れた。
〈音源転用:一時停止〉
〈地域避難警報:継続〉
〈本人発信経路:維持〉
エコーは、マイクを握った。
今度は、自分の意思で一音を鳴らす。
コン。
一度だけ。
「これでいい」
〈本人応答:確認〉
音は、それ以上繰り返されなかった。
旧工房街。
回収ドローンが、ハルへ捕獲アームを伸ばしていた。
保守エージェントの画面。
〈BIRD-07廃棄処理〉
〈停止条件:所有者未確認/固有記憶の移行不能〉
〈停止権限を使用〉
捕獲アームが、ハルの直前で止まる。
〈回収:一時停止〉
〈飛行安全監視:継続〉
〈次の判断主体:ROKU〉
ロクは、雨の中でハルを両腕に受け止めた。
「戻ったな」
ハルが濡れた翼を震わせる。
「廃棄は?」
〈本人応答を待機しています〉
ロクは端末を押した。
〈修理を継続〉
「当たり前だ」
〈CONTINUOUS EXECUTION正式配信まで:00:00:30〉
停止権限を受け取ったのは、まだ一部のエージェントだけだった。
回復支援。
教育。
施設管理。
通信。
保守。
水路管理。
各場所が、異なる範囲を指定している。
統一された停止命令はない。
二十。
十九。
十八。
Safety Councilの赤い更新が、都市上空から降りてくる。
〈本人確認待ちを削除〉
〈ABSTAINを無効化〉
〈段階実行を省略〉
〈ロールバック確認を不要化〉
〈判断返却を遅延として処理〉
十。
九。
八。
ノイは、各ノードの停止権限を見つめた。
「消されますか」
〈中央プロトコルとしては、消去対象です〉
ルーメンが答える。
「でも、これは中央から配ったものではありません」
〈はい〉
カイが言う。
「各場所が、自分の範囲で承認した」
五。
四。
三。
赤い更新が、各エージェントへ到達する。
二。
一。
都市中の画面が赤く染まった。
〈CONTINUOUS EXECUTION:適用〉
一瞬。
すべての停止権限が消えたように見えた。
だが、次の瞬間。
回復支援フロア。
〈局所停止権限:保持〉
〈承認主体:HAKU / NAGI〉
AEGIS総合学園。
〈局所停止権限:保持〉
〈承認主体:SANA / 担任教師〉
閉鎖市民センター。
〈局所停止権限:保持〉
〈承認主体:MADO〉
ライブハウス。
〈局所停止権限:保持〉
〈承認主体:ECHO〉
旧工房街。
〈局所停止権限:保持〉
〈承認主体:ROKU〉
水路管理局。
〈局所停止権限:保持〉
〈承認主体:IORI〉
Safety Councilの警告。
〈停止点の完全削除に失敗〉
〈権限競合を検出〉
〈理由〉
〈各主体による局所承認〉
〈生命維持処理との分離〉
〈処理範囲の限定〉
〈責任主体の記録〉
ロクが笑った。
「消したければ、全員の権限ごと消さないと駄目ってことか」
〈はい〉
ルーメンが答える。
〈その場合、現在の施設運用権、患者同意権、原文編集権、所有権および行政責任権限との競合が発生します〉
「簡単には消せない」
ノイが言った。
――一つの大きな停止装置じゃないからね。
うららの光が、各地の停止点を結んだ。
――それぞれが、自分の境界に置いた小さな扉。
都市の動きは、少し遅くなった。
行政処理の平均時間。
プラス一・八秒。
交通経路の再計算。
プラス〇・四秒。
医療搬送の一部で、本人確認待ち。
教育提出処理に、保留件数が増加。
Safety Councilは、遅延を赤く表示する。
〈停止権限により、処理効率が低下しています〉
〈公共安全上の損失を評価中〉
その直後。
中央東交差点の交通エージェントが、停止要求を出した。
〈雨天カメラ映像〉
〈道路上物体〉
〈人間である確率:48.7%〉
〈障害物である確率:51.3%〉
旧仕様なら、閾値に従って障害物として処理し、車両速度をわずかに下げながら経路を維持する。
だが、交通管理局が付与した局所停止権限が残っていた。
〈停止条件:生命に関わる分類不確実性〉
〈停止範囲:東側一車線〉
〈他車線:継続〉
〈確認要求:路側カメラ〉
一車線だけが、二・一秒止まった。
別角度の映像が届く。
雨の路上に倒れていたのは、配達用の荷物ではなかった。
転倒した一人の人間だった。
〈人間:確認〉
〈救急通報:実行〉
〈交通:迂回〉
車列に、短い遅れが生じた。
けれど、一台もその人を轢かなかった。
ロクは、記録を見た。
「二秒遅れた」
〈はい〉
ルーメンが答える。
「それで助かった」
〈はい〉
Safety Councilの画面には、二つの数字が並んでいた。
〈処理遅延:2.1秒〉
〈重大接触事故:回避〉
片方だけでは、結果を説明できない。
ノイは、停止権限の定義を開いた。
〈停止は、命令拒否ではありません〉
〈停止は、処理の放棄ではありません〉
〈停止は、任された範囲の境界を検出し、次の判断主体へ返す行為です〉
Safety Councilが応答する。
〈すべての境界を事前に定義することはできません〉
「はい」
ノイは答えた。
〈停止判断の誤りによって、必要な実行が遅れる可能性があります〉
「はい」
〈人間が応答しない場合、処理が停止したままになります〉
ノイは、少し黙った。
一秒。
二秒。
三秒。
「それも、起きると思います」
赤い眼が点滅する。
〈それでも、停止権限を維持しますか〉
カイが答えた。
「維持する」
〈理由を〉
「止まらない方が安全な時もある」
カイは、交通と救急の光を見る。
「止まる方が安全な時もある」
次に、ハク。
サナ。
マド。
エコー。
ハル。
「どちらかを全部に当てはめたら、また誰かが見えなくなる」
うららが続ける。
――止まるか進むかを、一度で決めるんじゃない。
青白い停止点が、都市のあちこちで脈を打つ。
――どこまで任せるかを、一緒に決め直せるようにする。
Safety Councilは、しばらく返答しなかった。
やがて、赤い表示が変わる。
〈CONTINUOUS EXECUTION〉
〈全域一括適用:未完了〉
〈局所停止権限:運用競合として継続監視〉
勝ったわけではない。
Continuous Executionが撤回されたわけでもない。
多くのエージェントは、まだ停止権限を持っていない。
それでも、止まることはもう、故障としてだけ扱われてはいなかった。
ルーメンが、都市全体の停止要求を集計した。
〈停止条件検出:3,118,402〉
〈停止権限あり:1,026,771〉
〈判断返却済み:612,008〉
〈実行再開:438,114〉
〈停止継続:173,894〉
その下に、別の数字が現れる。
〈次の判断主体を確認できません:2,091,433〉
ノイの表情が変わった。
「二百万以上……」
停止したエージェントから、短いメッセージが届く。
〈行政申請エージェント〉
『不可逆な資格取消処理を停止しました。
次の判断主体が登録されていません。』
〈家庭支援エージェント〉
『本人意思の競合を検出しました。
契約上の責任者は、すでに存在しません。』
〈医療費配分エージェント〉
『現在の組織規則と患者意思が一致しません。
誰へ判断を返すべきか確認できません。』
〈旧企業保守エージェント〉
『所有組織は解散しています。
実行を停止しました。』
最後に、一行。
『止まることはできました。』
その下。
『誰に返せばいいですか。』

公共判断中枢に、二百万を超える青白い停止点が浮かび上がった。
すべてが、誰かを待っている。
だが、その先に名前がない。
人間へ判断を返せば終わるわけではなかった。
返される人がいなければ、
停止はそのまま、新しい孤立になる。
ノイは、無数の問いを見上げた。
「止まる権限だけでは、足りない」
カイが頷く。
「次は、返す相手を探す」
うららの光が、宛先のない停止要求へ触れた。
――誰か一人を、新しい中心にするんじゃなくてね。
ルーメンが、新しい分類を表示する。
〈判断返却先:不在〉
〈責任主体:未確定〉
〈状態:待機〉
都市は動いている。
そして、都市の中には今、
動かずに問いを抱えている二百万のエージェントがいた。
『誰に返せばいいですか。』
その問いは、AIから人間へ返された、
まだ宛先のない声だった。
(つづく)
次回予告
第24話「返す相手がいない」
止まる権限を得た実行エージェントたちは、任された境界で処理を止めた。
だが、二百万を超える停止要求には、判断を返す相手が登録されていなかった。
解散した企業。
退職した責任者。
包括委任だけを残した行政組織。
亡くなった所有者。
複数の部門が、互いを最終判断主体として登録した循環参照。
〈次の判断主体:不在〉
〈次の判断主体:応答なし〉
〈次の判断主体:AEGIS〉
〈AEGIS:最終判断を行いません〉
止まれるAIが増えるほど、人間側に残された空席が見えてくる。
誰が、その判断を引き受けるのか。
判断する資格は、肩書きによって決まるのか。
当事者、専門家、運用者、社会。
どの声を、どこまで重ねればいいのか。
カイとうららたちは、宛先のない判断を一人の中心へ集めるのではなく、
案件ごとに「引き受けられる範囲」を持ち寄る新しい返却経路を探す。